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おわりに

 
 私の右足には、サファイヤが入っています。
 
 
 サファイヤといっても、宝石ではありません。医療用の人工サファイヤです。
 
 
 27歳のとき、交通事故で両足を骨折しました。車を運転していて、正面から衝突しました。車体は、ちょうどボンネット部分で折れました。アクセルとブレーキの下の床が車内にせり上がって、両足は床とハンドルの間に挟まれてしまいました。上半身はハンドルに口をぶつけて口の中を切ったくらいでしたが( 実はそのとき私は矯正治療をしていました)、自力では抜け出せなくて、救急隊員に助けていただきました。足には全く力が入らず、ひざから下は垂れ下がり、ピクリともしません。感覚もなく、立ち上がることはできませんでした。立ち上がれませんでしたから、担架に乗せてもらいました。担架から右足が少しはみ出ていましたが、明らかに通常のつま先の方向と違いました。紫に変色した足首の太さは、1・5ℓのペットボトルくらいありました。だらんとして、自力ではまったく担架に乗せられません。客観的に自分の足を見ているうちに、徐々に恐怖になってきました。 『ヤバいことになったな。僕の足は取れてしまうかもしれない。』
 
 
 本気でそう思いました。救急車で総合病院に搬送され、すぐに入院しました。
 
 
 両足骨折。
 
 
 左足は、かかとの骨でした。
 
 
 『左の足は比較的早く治りそうですよ』
 
 
 しかし、右足は距骨という、足首の骨が割れてしまっていて、レントゲン上、明らかにバラバラになっていました。その骨は、血流が悪く、治りにくい。血流がしっかり確保されてこないと…壊死する、私は、初めて自分の体の一部がなくなるかもしれないという恐怖を感じました。
 
 
 整形外科の先生には、これから起こりうるいろいろなリスク、不具合などを説明していただきました。どれも悲しい話ばかりでした。
 
 
 しかし、それと同時に希望のもてる話もしていただきました。
 
 
 『機能訓練すれば、元通りは無理でも、ちゃんと歩けるようになるかもしれませんよ』1週間後、骨をつなぎ合わせ、人工サファイヤで支える手術を受けました。それから2ヵ月は、まったく歩けませんでした。3ヵ月目で、ようやく左足に負荷をかけられるようになり、しばらくぶりに、片足でしたが立ち上がりました。それからも、リハビリの先生(ちょっと厳しかった)のいうことを聞いて、頑張って訓練しました。そのときは、自分が『治っていく』のがうれしくて、運動嫌いの私でも、リハビリを続けました。
 
 
 それから、12年経ちます。
 
 
 今は、自力で歩き回っています。右足は少し上がりにくいので、よくつまずいたり、うまく走ることもできませんが、普段の生活には支障ありません。
 
 
 おそらく、昔は、私のような骨折の場合、歩けなくなっていたのではないかと思います。医療技術や道具、材料など、医療が発達したおかげで、体の一部を失わず、ほんとうによかったと思います。
 
 
 整形外科の先生、看護師さん、医療スタッフのみなさん、医療機器メーカーの方々など、みんなに感謝しています。
 
 
 歯医者に行くと、歯を抜いたり、削ったりします。きわめて簡単に、です。もっと慎重に、体の一部だという意識で、歯を診るべきではないだろうか? 手や足を必死で残すために医療技術があるように。私は、あなたの体の一部を、とってしまいたいとは思わない。私は、歯を失わせるために歯医者になったのではありません。
 
 
 人間が生命を維持するために、歯は本来不可欠なものです。
 
 
 歯科医療は今まで、生きるために絶対必要な歯の修復に力を注がれてきました。技術も道具も、どんどん発展してきました。しかし、その反面、簡単に歯を削ることのできる道具も生み出されてきました。もちろん、道具は便利になって昔よりもずっと楽に虫歯の治療もできるようになりました。これは素晴らしいことです。しかし、簡単に歯を削れるが故の修復方法も生まれました。例えば、ガタガタの歯並びを削って、人工の歯を被せる方法。これは、短期間で、歯並びがキレイになったように見えます。
 
 
 では、自分の歯はどこに行ったのでしょう? 削ってなくなりました。人工のものに置き換わったのです。たしかに、その瞬間の見た目は、きれいに見えます。でも、何かおかしいと感じませんか?
 
 
 私たちは生きています。
 
 
 常に、体中は代謝され、どんどん新しい組織に置き替わります。骨だって1年前のものはもうありません。みんな新しい骨ができて、今の、この瞬間があるのです。
 
 
 人間は、誰でも歳をとります。うれしい話ではありませんが、かならず衰えます。その瞬間だけの修復ではダメなのです。20年後、どうなるのか考えておかないと。
 
 
 一度きりの人生。あなたの体。決して、粗末にしてはいけません。
 
 
 大切にしなければ、いけません。
 
 
 そう、健康な歯を削ったり、抜いたりしてはいけません。元に戻せないのですから。
 
 

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