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はじめに

 私は14年前に、歯科の併設されている美容外科でアルバイトをしたことがあります。初めての患者さんはモデルの卵で、オーディションのために歯並びをきれいにしたいという若い女の子でした。しかし、その治療方針は左右の八重歯を抜き、前歯と小臼歯、合計6本の神経を抜く、削った歯に仮のプラスチックの歯をくっつける、というとんでもないものでした。
 
 
 彼女に会う前に治療方針を見た私は、虫歯だらけのボロボロの口の中を想像したのです。実際の彼女は犬歯が飛び出ている、いわゆる八重歯でした。しかし、口の中を見て愕然としました。虫歯が1本もないんです。前歯にも犬歯にもどこにもない。おいおい、これを抜くのか? この犬歯を抜くのか?? 1分間ぐらいでしょうか…これから私がしなければならない処置がとんでもなく乱暴であることに気づき、あまりのショックに私は何もしゃべることができなくなってしまったのです。
 
 
 そして結局、健康な犬歯を抜きました。ふつう健康な歯は抜きません。歯を抜くなんてよっぽどのことです。その頃私は、大学で口腔外科に在籍していました。口腔外科とは、口の中の外科を専門に行うところです。ですから、埋まっている親知らずを抜いたり、虫歯でボロボロになってもう使えない歯を抜くことに抵抗はありませんでした。しかし、健康な犬歯を抜いたことがなかったのです。
 
 
 滅菌トレーに置いたキレイな犬歯。あの感覚を忘れない。健康な犬歯のあの強靭さ。ねばりつくような、意地でも体からはがされることを拒む力…。あー、私は何をやっているんだろう…。
 
 
 犬歯を抜いた後、ガタガタに並んでいる前歯の神経を取りました。神経を取れば、歯はいくらでも削れます。ガタガタに並んでいる前歯の出っぱっているところを、私は削り倒しました。裏側に引っ込んでいる歯も、削りまくりました。そして、そのマヌケになった歯と歯並びに、仮のプラスチックの歯をくっつけました。上の歯だけをキレイに並べて作った、8本つながった「はりぼての歯」を、です。
 
 
 しかしこの患者さんは、下の歯もガタガタに並んでいました。下の歯の飛び出たところが上の歯と当たるので、下の歯の出っぱったところを削りました。とりあえず上のニセモノに合わせて、下の歯のてっぺんを削りました。

 この処置に見た目をキレイにする以外の目的はありません。2時間後、モデルの卵の患者さんは、はりぼての歯を私にくっつけられて無表情に座っていました。次の患者さんも待っていますから、一連の治療(作業?)を終えるまでは、とりあえず必死
でした。
 
 
 実は、全国の歯科医院で数え切れないほどの歯医者が、私がしたのと同じことを毎日毎日やっています。一度抜いたり削ったりしたら、もう二度と戻せないんですから、歯の治療にはものすごく気を使わなければならないはずです。それなのに、実際には歯医者に行けばどんどん削られる。見た目をキレイにするために、健康な歯を犠牲にする。虫歯の小さな穴ができれば必要以上に歯を削って、大きな銀歯を入れて治ったと言われる。矯正治療においても、健康な歯を抜いて隙間を作り、見た感じキレイに歯を並べて治ったと言われることもあるでしょう。
 
 
 今の私ならこの処置を絶対にしません。なぜなら、もっと健康的に歯並びの治療ができることを知っているから。抜いたり削ったりして、はりぼてをくっつけたら、どうなっていくのかを知っているからです。私は歯医者になってそのとき初めて、健康な犬歯を抜きました。もう二度とやるまいと思いました。あんなに嫌な気持ちになったことはありません。初めて会って、すぐ処置するシステム。だからこそ、健康な犬歯を抜く最悪かつ貴重な経験をさせていただくことができました。
 
 
 歯は一度抜いたり削ったりすると、決して元の形には戻りません。「歯」ってすごいものなんです。こんなに硬い部分、体中探してもどこにもありません。動物は、歯がなくなったら死にます。食べられないからです。人間だって同じです。今はもし歯がなくなっても、歯医者に行って入れ歯を作れば食べられます。もちろん、それは素晴らしいことです。そのような歯科医療は、なくてはならない大切なものです。
 
 
 この本では、歯を守り、健康に生きるための、本来あるべき歯科医療についてまとめました。「幸福」にもいろいろな解釈があり多様化しているのでしょうが、昔は「食べる」ということそのものが、「福」であったに違いありません。時代は変わっても、いつまでも自分の歯を大切に、「福」を噛みしめていたいものです。
  
 
 

                                 古田博久
 
 

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